犠牲者を選ぶ

「休日に呼び出してすまないね。
きみに、三十階からの眺めを見せたかったんだ。
素晴らしいだろう? 完成したばかりのビルは
塗装や接着剤の匂いが鼻につくだろうが、
まあ我慢してくれたまえ。そのかわり、
すべてがピカピカさ。照明やセキュリティ、
館内専用電話も最新の物を導入している」

 私は、いちど深呼吸した。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。
……このビルを完成させるために、
わが社は少々無理をしてしまったんだ。
実に不名誉な話だが、破綻は避けられない」

 緊張で、足が震える。しっかりしなければ。
「まだ、誰も気づいてはいないけどね。
たとえるならば、小さな病巣のようなものさ。
顕微鏡がないと見つけられない。しかし、
確実に大きくなり、体を蝕むんだ。
破綻という不名誉を避けるためには、犠牲が必要だ。
乱暴で運任せな計画だが、えり好みする時間はない」

「もうしわけないが、犠牲になるのはきみだ。
わかっているんだよ、きみは経営者の私を憎んでいる。
実は私も、きみの生意気な態度が許せなくてね。
緊張するとまともに話せなくなるくせに、
チャンスさえもらえれば大きな仕事ができる、
チャンスをくれない経営者が悪いと思いこんでいる。
そんなきみが嫌いなんだ。
この計画では、きみを犠牲にしようと思う。
きみが度を失い、慌てる姿は滑稽だろうね。
慌ててもらいたくて、
こんな話をわざわざ聞かせてるのさ。
知ってるかね? 生命保険は、……
生命保険は……。もしもし? もしもし?」


 どうやら、彼が通話を切ったようだ。
まあ、いいだろう。
すでに、エレベータの電源は落としてある。
移動には、階段を使うほかない。
ビルの三十階にいる彼が
一階にいる私のもとに辿り着くのは、
おそらく数十分後だろう。
彼に、私を止めることなど不可能だ。
彼は、犠牲になるほかないのだ。

 乱暴で運任せな計画だが、えり好みする時間はない。
最新のセキュリティが導入されたビルには、
私と彼の二人しかいない。うまくいけば……。
そう、うまくいけば、
「会社を破綻させた無能な経営者」
という不名誉な称号ではなく、
「生意気な社員に殺された可哀相な男」で終えることができる。

 体の中の病巣が小さいうちに、自分の手で終わらせよう。
 ただ、生命保険は、自殺ではスムーズに支払われないらしい。
 それならば、殺されたことにしたい。
 殺人の罪をかぶせる対象、犠牲が欲しい。そして、彼を選んだ。
 乱暴で運任せな計画だが、えり好みする時間はない。
 私は、右手に握りしめていた館内専用電話の受話器を壁に戻した。
 血まみれの左手は、すでに動かなくなっている。