ネット中毒

 時間を確かめてから、アパートのドアを控えめにノックした。
「どなた?」「俺だ」「田中か?」
 鈴木は、大げさな身振りで俺を迎え入れた。
 俺はまず、大事なことを質問する。
「今日は、伊豆へ釣りに行ってきたんだって?」
「僕の日記を読んでくれたんだね」
 鈴木は、mixiTwitter
はまっていて、いつも携帯電話であれこれ
書き込んでいる。「釣果はほとんどゼロだったよ」
「らしいな。実は俺も、千葉の方で海釣りをしてきたんだ。
よかったら食べてくれ」ラップをかけた皿を見せる。
「おお、ありがとう」
 鈴木は、携帯電話で写真を撮ろうとした。
俺は、それをとめる。ほうっておいたら、
いつまでも食べないだろう。撮影した写真をネットに
アップして『友達からの差し入れだよ』と
コメントを書いて……まどろっこしい。
「新鮮だから、まず一口味わってくれ」「ああ、そうだね。
いやあ、持つべきものは友達だなあ」
 鈴木は、俺のことを親友と思っているらしい。
 だが俺は、友情なんかこれっぽっちも感じていない。
 
 それに、その皿の魚は、フグなんだ。

 鈴木は、ネット中毒だ。
いつも俺にマイミクやフォロワーの数を
自慢している。数百人もいるとか。

 しかし俺は、鈴木のせいで離婚する羽目になった。
ネットに「モテモテの田中がうらやましい。
僕も女を取っ替え引っ替えしたい。
僕はいつも一人、さびしーなあ」と書きやがったんだ。
 この短い文章で、妻に女遊びがばれちまった。
今も、高額の慰謝料に苦しんでいる。
 鈴木は謝罪し文章を削除したが、許せるはずがない。

 フグを口にした鈴木は、しばらくのあいだ
床に転がって痙攣していた。いい気味だ。
 動かなくなったのを見届けてから、部屋を
片づける。あとは、誰にも見られることなく
ここを立ち去ればいい……。


 数日後、警察に呼び出された。俺に、
鈴木がフグの毒で死んだことを説明してくれる。
 俺は驚いてみせてから、つぶやいた。
「あいつは釣りが趣味だったけれど、
自分が釣り上げたフグのせいで死んだんですね」
「……いや、そういうわけではなさそうです。
釣り船の関係者に確認したところ、
あの日はなにも釣れなかったそうで」
 なんだと? じゃあ、ネットの日記に
『ほとんどゼロ』と書いたのは見栄だったのか。
『ほとんどゼロ』ではなく『ゼロ』。

 刑事が小さな声で語る。
「彼はなぜ、フグを食べたのでしょう。
彼がネットに残した日記を読んでみましたが、
自ら死を選ぶほどの深い悩みはないようでした。
では、フグを別の魚と勘違いしたのか?
その可能性も低い。そもそも、その日は
なにも釣っていないのですし。そこで
我々は考えました。誰かに騙されたのではと」
「……ふむ」
「誰かから渡されて、食べてしまったんです」
 俺は頷くしかなかった。
「ということは、身近な人間のしわざである
可能性が高い。赤の他人がアパートにやってきて
魚をプレゼントする状況は少し考えにくい」
 強く否定したかったが、何もできなかった。
 刑事が言葉を続ける。「そこで、彼の交友関係を調べました。
といっても、携帯電話やパソコンを解析しただけなのですが。
 彼の住所録には、みっつのフォルダしか
ありませんでした。仕事の取引先と、遠く離れたところに
住む親戚と、友人です。まずどれを調べるべきと思います?」
「仕事関係、遠くの親戚、友人……その
みっつの中なら、友人でしょうか」
「自分もそう思いました。ところが、
『友人』のフォルダに登録されている名前は、
たったひとつだけだった。……あなたの名前です」

 頭の中が真っ白になった。「嘘だ、まさかそんな。
あいつはいつもネットをやっていて、マイミクや
フォロワーとかが何百人もいるはず」
「それはあくまでも、ネットの中だけの
付き合いだったようです。お互い、本名も住所も
携帯電話の番号も知らなかった。

そこでお聞きしたいのです、あなたに。
鈴木さんとの交流について、詳しく」


 俺は、彼が書いた短い文章を思い出した。
『僕はいつも一人、さびしーなあ』……