彼女は女性だったので

(どうしよう、彼女が頭ぶつけて死んじゃった。ちょっと
押しただけなのに、大げさに倒れた彼女の方が悪いよ。
これ、殺人になるのかな。じゃあ、刑務所行き?
そんなの嫌だ。ここから逃げなきゃ。
でも、誰かに見られたら?
……そうだ。もし誰かに自分の姿を見られても
平気なように……)

 マンションの一室で、火災警報器が鳴り響いた。
通報を受けて駆けつけた消防隊員が見たのは、
焼けこげた部屋と小柄な女性の遺体だった。

 数日後。殺風景な会議室で、捜査一課の若い刑事が
報告書を読み上げていた。「被害者は、この部屋の
住人であるDです。一人暮らしですね。
身なりが派手で、評判の良くない女性でした」
 押し黙って聞いていた老刑事が、眉を動かした。
「評判の良くない?」
「はい。異性関係でいくつものトラブルを
抱えていたようです。そのため、この事件でも
三人の容疑者がいます」


「容疑者Aは、柔道部に所属する女子大生です。
実力があり、選手としては有名なようです。
 ただ、そのためか恋愛には縁遠かったらしく
『髪はボサボサだし、手も足も男性以上に
ごついから、まったくもてない』と評判です。
 やっと素敵な人を見つけたけれど、
Dに取られてしまって恨んでいたらしいです。

 それから、容疑者Bです。Aとは対照的に、
ずっと部屋でテレビを見ている内向的な女性で、
男性と知り合う機会が少なかった。
それでも運良くできた恋人がDに奪われ
……経緯はAと同じですね。
 そして、AやBのような事情を持つ
三人目の容疑者C。ただし、男性です」
「……ん?」

「男性なんです。見た目はまるっきり
男性ですが、内面は女性だそうです。
『彼氏』の前でだけは身も心も女性になれた、
とのことです。女装して会っていたのでしょうね」
「まさか、その『彼氏』とやらに……」
「そう、Dが手を出したらしいです」
「容疑者が三人か……」


「事件現場の一室が焼けこげていたため、
指紋や毛髪などは見つかりません。
痕跡を消すため犯人が火を付けたようです。
ただ、そのために火災警報器が作動しました」
「目撃者が大勢いるそうだが?」
「はい。鳴り響くサイレンを聞いて、
マンションの住人達が廊下に飛び出しました。
そしてその時、被害者の部屋から
急いで立ち去る女性の姿を見ています」
「それなら、事件は解決じゃないか」
「ただ、その女性……
被害者Dにそっくりだったそうです」
「……ん?」

「犯人は、現場から逃げるにあたって
変装したようなんです。それも、
被害者の衣服や化粧道具を使って。
金髪のウィッグ(かつら)や大きめの
サングラス、赤いハイヒールにピンクの口紅、
スネまで隠すほどの毛皮のロングコート、
ブランドもののボストンバッグ……。
目撃者達の証言を総合すると、
こうなるんです」
「被害者の姿に化けていたのか」
「そうです。だから証言は
あてになりません」
「いや、そうでもなさそうだ……」

 さて、老刑事はなにかに
気づいたようです。犯人は誰でしょう?

 老刑事の表情が明るくなった。
そして質問を始める。
「犯人が身につけていたのは、
全て被害者の持ち物だったんだね?」
「はい、同じマンションに住む
複数の目撃者がそう証言しています。
どれも派手だから、印象に残っている
ようですね」
「なるほど……。だとしたら」
「だとしたら?」
「自分の立場で考えてみよう。
他人の目をごまかすため、
女性の持ち物を身につけるんだ。
できるかな?」
「……できます。恥ずかしさはありますが、
無事に逃げるためですからね」
「いや、できないよ」
「なぜです?」
「ハイヒールの靴、履けないだろう」


 若い刑事は、一瞬で理解した。
ウィッグやサングラス、コートを
身につけることは、まだなんとかなる。
 しかし、ハイヒールはどうか。
ハイヒールの靴を履いて、現場から
急いで立ち去ることはできるだろうか。
「……足が小さくないと不可能ですね」
「そうだ。三人の容疑者のうち、
AとCは無理じゃないか?
Aの足は男性以上にごついそうだし、
Cは男性だ。両者とも、小柄な女性である
被害者Dのハイヒールは履けないだろう」
「すると、Bだけが残る……」


 追及されたBが降参し、事件は解決した。
 Bは、自分の靴をボストンバッグの中に入れ、
赤いハイヒールを履いて現場から
立ち去ったのである。その話を聞いた
老刑事は呟いた。
「わざわざ履き替えたんだねえ」
「自分の靴を誰かに見られたら、と思うと
怖かったようですね。……ただ、彼女は
『自分の靴が安物に見えた、
毛皮のロングコートには合わなかった』とも
供述しています」
「……ん? つまり、人を死なせて逃げる時に
コーディネートを気にしたのか?」

 刑事たちは、彼女の言葉が本気なのか
その後もわからないでいる。